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カメラマン:夢や憧れを持つ人は多い!写真を撮ることに何の意味がある?






カメラマンへの夢や憧れを持つ人は多い!
だが、地を這うような苦痛を味わう写真家もいる。
いったい、写真を撮る事にどんな意味があるのか?
一度は考えるカメラマンがいるのも事実です!



こんにちは。


つい先日の事。

写真仲間である一人の女性Yさんが、

ある地方新聞に大きく取り上げられました。

今日は、その人にまつわる話を書きたいと思います。

「写真展を開くのが夢」という「Y」さん(45)です。



Yさんは、もともと、美容師だった女性です。

Yさんは、一通りの修業のあと、28歳で、

思い切って、プロカメラマンとして、独立しました。


彼女は、ファッションや広告を手がけるカメラマンに

憧れてこの道を志したと言います。

こういう憧れや夢を持ってカメラマン目指した人は、

けっこう多いんじゃないでしょうか?


しかし、憧れだけで、写真家として続けるのは、
難しいと思います。  

続ける事は、なお難しいと思われます。

憧れや夢の向こうに何か
求めるものがあれば別ですが。



考えてみれば、私自身も一種の憧れや夢を
追っかけていたようでした。

でもやめることなく、短期間でプロになりました。


最初は夢中でしたが、さいわい、私は、
仕事がだんだん面白くなってきました。


日常の事件や、出来事を追う。

そこには未知との出合いがありました。

その出合いは、人であり、怒号であり、
政治であり、貧困であり、大金持ちであり、
まさに、未知との遭遇でした。

もう「トキメキ」の連続でした。
毎日ワクワクして取材に飛び回っていました。

面白くてたまりませんでした。

本を読みながら、知らぬ間に、没頭して、
寝ずに、読み通し、気が付いたら朝だった。

そんな感じでした。

そうです。

写真を撮ることが楽しくてたまらなかったのです。

だから、私は、写真をつづけることが出来たのだと
思います。

もう一つは、自由だったことです。

社をでれば、目的物を撮るまで、なにを考え、
なにを計画し、どう撮ろうとすべて、自分の
責任で行動できるのです。

会社で働いていた時には味わえなかった
開放感でした。


カメラマンという外観のカッコよさだけに
あこがれて、この世界にはいったとすれば、
つぶれてしまう可能性はおおいにあるでしょう。


さきのYさんも、止めようかという試練が
何度かあったと言います。

一時、仕事がとぎれ、資金も底をつくなど、

幾多の苦難に遭ったそうです。


しかし、歯をくいしばり、

「なんとか、お客さんに喜んでもらえるような
写真を撮るまでは・・・」

と、がんばったそうです。

3食を2食にし、時にはやっと、夜の1食を
ラーメンでしのいだこともあったそうです。

ヘトヘトニなりながらも、お客さんへの笑顔を
忘れず、諦めずにとにかく、倒れるまでは、
絶対やってみせる!

そんな思いでシャッターを押してきた
のだそうです。


それでも。地を這うような努力が実り、
やっと、レコード会社や、出版社などから、
ポツポツ注文が入るようになりました。


一難去って又一難!

やがて、別の大きな壁が、彼女の前に、
立ちはだかるようになります。

「自分は、何の為に写真を撮るのか? 何を撮るのか?」 

といった、カメラマンの魂にもふれる問題に
突き当たったのです。

「写真家として、さらに、”次元の高い生き方”

を求めるようになりました」

と心境を語っております。

ただ、注文の写真をこなすだけでは、
あきたらなくなってきた
と、いうわけです。


カメラマンとして、いかに生きるか!

これは、多くのカメラマンが、遭遇する深くて、
永遠の課題でもあるような気がします。


最初は自由奔放にとり巻くっていた私も、
ご他聞にもれず、やはり、同じ経験をしました。

これは、多かれ少なかれカメラマンの誰もが
一度は、遭遇する問題かもしれません。 ハイ!





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