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風景画像①.jpg


         

風景写真・初めて撮りました!公園で撮った思惑ありげな1枚です!




先日、初めて、風景写真を撮りました。 抗がん剤治療後、
退院して2年あまりたちます。 夕方、公園のベンチに背をもたせて、
意識の赴くままボーっと空を眺めていて撮った風景写真です。
さすがに、掲載はタメライマシタが、・・・・・・・・。




イメージと思考が変わりました!




抗がん剤治療を終え、なんとか退院して2年半たちました。

胃と腰に副作用が残り、今、自宅療養ちゅうです。

とは言え、毎日6000歩ぐらいはあるいています。

時間としては、3~4時間ぐらいでしょうか。


歩いては、近くの公園で休み、歩いては、最寄りの

コンビニで、本の立ち読み?をさせてもらったりします。(苦笑)

時には、川の土手で体操したり、階段を上り降りして、

終われば、「ハー、ハー・・・」息がはずみます。


たまに、自販機でコーヒーを買って一杯キューッと・・・・。

汗をよくかくようになりました。


外から見る限り、自宅療養ちゅうなどと思う人は

多分、無いでしょう。



心象公園.jpg
(この風景写真は、原画をケータイで撮りなおして載せましたので
全体が、青みがかってしまいましたが、ご了解下さい)

地域の合同写真展に出したらと仲間から、勧められるままに、
出展させてもらいました。

下の家並みは、実際は、真っ黒のシルエット。

空のうろこのような雲は原画では、わりあい「動感」が強くでており、
画面に、変化をもたらしてくれました。

仏陀や、キリスト・・・などのイメージが続いて現れてきたことを
下に書きましたが、それは、夕日が沈みかけている光の部分です。

そのイメージが、ここに写っていたら一種の「心象的風景写真」
なっていたかもしれません。


「テレビコマーシャル」や「雑誌広告」などなら、合成でそういう映像
にするのも可能ですね。


出展した風景写真は、仲間たちが気に入ってくれて、カラーをモノクロ
にし、現像(げんぞう)に手を加え、画像の粒子を少し荒した為に、雲が
より強く表現されて、
ちょっと「異様な雰囲気」が、かもし出されておりました。


私は、現在、撮影からは、一切、放れています。
でも、カメラだけは、持ち歩いています。(笑)

手に触れているだけで、気が落ち着くんですね。

長い間の習性なんでしょうね?



写真雑誌や、他の雑誌のなどは、相変わらず見ています。   
図書館 とか コンビニで。(笑)


撮れるようになるまで、早く回復したいですね。



この風景写真を撮った時を振り返ると、
知らぬ間にカメラを向けていました。


退院してから、物の感じ方が、かなり変わっていて、
つい手がカメラを動かしたという感覚じでした。



「生死」が思考を変えた!?




ありていに言えば、「死」 について、
考えることが多くなってから
変わってきたのかなと思います。



それは決して、「死」 を思い詰めるというようなことではありません。

全く単純なことなのです。


端的に言えば、人間には、「命」 に限りがあるということに
あらためて、気づかされたということです?


宇宙を考えると、

人が生きている間なんて

ほんの一瞬です。

誰もが、いづれ、この世から、消えていきます。


それにまつわる考えが、沸々とわきでてくるのです。

いずれ、機会をみてそんなこともお話しできるかもしれません。


それはともかく、
写真に対する見方や、好みが
スゴク変わったなと感じています。


前にも書きましたが、色の好みが、「ダイダイ」から「白」

に変わりました。


人に関心が深かったのですが、退院してから、自然に

目が向くようになりました。


この二つは、自分でも驚くような変わりようです。



過去、私が、プロとして、撮った写真は、ほとんど

スナップで、人物と風景が入り混じったものが多く

風景だけを好んで撮ったことはありません。



今回初めて、風景写真(人のいない)というものを

撮りました。



①、② の2枚がそうです。


笑われそうですが、掲載してみました。


原画とは少し色合いが違いますが、
それは先に書いた通りです。


意識しないまま、
公園で夕日を見ているうちに、知らぬ間に
シャッターを押しておりました。


意識がどこかへ飛んでいたような不思議な感じでした。

しばらく、ボーッとしていましたが、前述したように、
明かりの奥から、「仏陀」が出てきました。 


そのまま見ていると、
今度は、「キリスト」が現れ、続いて、芥川賞を受賞した

お笑い芸人の「又吉」さんが着物姿で舞いながら現れたのです。


さらに、又吉さんが好きだという作家

「太宰治 =だざいおさむ」まで

出てきたではないですか・・・・・?


「ハッ」 として、目をパッチリ開きました。


妙に聞こえるかもしれませんが、そのとたん、

イメージが、サーっ と消えたのです。


この時に撮った写真が、①、② の風景写真というわけです。


私は、瞑想が好きなものですから、知らぬまに

瞑想をやっていたのかも知れません。 (長椅子に座っていました)

「瞑想」をしながら、夢うつつというようなことも、

たまにありますので。



ただ今回の写真は色でいえば、「ダーク」 な風景写真です。


心象公園②.jpg
(この風景写真もケータイで撮りなおして載せましたので
全体が、青みがかって出てしまいました)



私は「白色」を好むようになったと言いましたが、

それにもかかわらず、この風景写真は黒を基調とした
ものになりました。

これは、一体どういうことなのでしょう?


あとで、いろいろ考えたのですが、思い当たらないのです。


白を好むが故に、むしろ反対色に惹かれて、
シャッターを押したのでしょうか?


これは、広告カメラマンなどの中には、
比較的、ある現象のようです。

カメラマンのエッセイか何かで読んだことがありました。


小説家などにも、よくあることのようです。

例えば、

自分の性格が明るい方なので、逆に暗いものを求めて
いたのかもしれない・・・・・・

というふうにです。


その辺りの心の動きというものは、自分にも、よくわからないという
作家はけっこういますね。


私の場合は、そんな人と比較できるような大げさなこと
ではないのですが、多分普段から
「瞑想」を実行しているせいかな?
と、感じています。






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Masa

人間も最後は自然へ帰ってゆくのですね・・・
by Masa (2016-09-22 17:49) 

太助

初めまして。
コメントありがとうございました。

人の命。  考えてみれば、はかないものですね。

「今でしょ!」 で、

すっかり有名になった予備校の「林」先生。
口をとがらし、ちょっとしゃくった感じの誠実そうな先生。

名言を残してくれました。

ボクの場合、「今でしょ!」 まさにこれだ! と言う気持ちで日々、過ぎていきます。

周囲の友人、知人、仲間の前から、「自分が消えてしまう」
突然、自分の存在がなくなってしまう。そういう現実を思うと、
たまらなくなってきます。

どういう気持ちで生きればいいのだろう?
ボクは、人生の先輩といえるような人たちの本を読み漁りました。

テレビ、新聞、ラジオ・・・など、気の赴くままに、見たり、聞いたりもしました。

そして、結局
「今でしょ!」
に舞い戻ってきました。

今、この一瞬を「精一杯」生きる。  これがまた、なかなか難しいのですが、やはり、これしかないように思いますが、どうでしょうか?

Masaさんも、どうか、元気で、良い日々を送られますように!

「お城」のブログ、散策させていただきました。  
また、寄せていただきますね。

お城のさまざまな顔、さまざまなドラマを写真で楽しませて
下さい。



by 太助 (2016-09-23 09:36) 

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