カメラマン:雑誌に出ない中卒・独学で土門拳賞他多数受賞の写真家!
カメラマンになりたい一心で中卒ながら、独学始める!
持前の情熱と執念で土門拳賞・他多くの写真賞を受賞!
しかし、雑誌などにこれまであまりでてこない人でした。
それでいて、日本有数の有名カメラマンとして、不動の
地位を占め、「自然報道分野」で、今や一級の写真家。
土門拳賞・他多数を受賞した驚くべき業績!
前々回、動物カメラマン星野道夫氏の記事を書きました。
今日は、その続きで、あまり雑誌などに取り上げられなかった
カメラマンの紹介です。
「中卒・独学で土門拳賞」他、数々の写真賞を得た
執念のカメラマン「宮崎学(みやざきまなぶ)」氏
がそのお人です。
「宮崎 学」氏は、「自然界の報道写真家」と呼ばれ、動物カメラマンの
範疇(はんちゅう)に入るカメラマンです。
ただ動物の生態だけでなく、普段、雑誌などでは、ほとんど
目にすることのない、隠れた奥の生活状態を撮りつづけた
カメラマンとも言えましょう。
それでは、簡単にプロフイールを見てみましょう。
< 宮崎学さんのプロフイール >
1949年、長野県生まれ。
4人きょうだいの末っ子。
中学校卒業後、地元のバス会社就職。
のちに、光学機器メーカーに転職。
カメラ制作会社が縁で、写真を始める。
20歳の時、「肝臓病」で3年入院。
長兄が写真学校から新聞社のカメラマン
になったのを機に、カメラ雑誌を教材に
独学で本格的な勉強を始める。
生物に情熱を傾ける宮崎さんの姿に出版社の人が
感動してしまい、それを機にプロへ歩み出す。
< 簡単に受賞歴の紹介 >
17歳前後、作品の発表を始める。
1年程のちに、
・ カメラ雑誌「アサヒカメラ」月例コンテストに入選。
(ムササビの写真)
・ カメラ雑誌「アサヒカメラ」月例コンテストに入選。
(コウモリの写真)
・ カメラ雑誌「アサヒカメラ」月例コンテストに入選
(ニホンカモシカの写真)
20歳 =<病気のため3年間治療)
23歳 =写真絵本『山にいきる にほんかもしか』でプロ写真家としてデビュー。
< 主な受賞・実績 >
28歳 ・「ふくろう」(写真絵本)で「絵本にっぽん大賞」を受賞。
29歳 ・個展「けものみち」で注目され、物議をかもす。
32歳 ・鷲・鷹「16種すべて」の生態を撮ることに成功
(日本で初めてのこと)
33歳 ・カンムリワシの成鳥や雛鳥の写真集で
「写真協会新人賞」受賞。
41歳 ・土門拳賞「ふくろう=写真集」
(動物写真での受賞者は初めて)
(受賞の写真集「フクロウ」アマゾン)
46歳 ・日本写真協会賞年度賞受賞「死=写真集」
・ 講談社出版文化賞写真賞を受賞「写真集『アニマル黙示録』」
53歳 ・ 著書『アニマルアイズ・動物の目で環境を見る』で
第4回学校図書館出版賞を受賞
54歳 ・「宮崎学(がく)写真館 森の365日」で
信毎ホームページ大賞2004エプソン賞を受賞。
・ 個展開催も多い。
・ 著書も多くカメラ雑誌などで紹介され、出版された。
現在、動物の生態写真を撮るカメラマンとしては、
日本の第一人者で有名カメラマンとして大きく貢献。
中卒・独学でこれ程の結果を出したその行動は?
宮崎学氏の簡単な経歴をみてきましたが、これで、
日本の動物分野で、「第一人者」とされる特異な
カメラマンであることを、少しは分かっていただけた
と思います。
それにもかかわらず、「風景カメラマン」や、
他の「人気カメラマン」のように、雑誌などで頻繁に
見かけることは少なかったように思います。
(ひょっとして、これは、私だけかもしれませんので、
もし、まちがっていれば、お許しください)
では、宮崎カメラマンの実践をちょっと付け加えながら、
この偉業を成し遂げた理由を考えてみたいと思います。
中学しか出ていない宮崎氏が働きながら、しかも、独学で、
このような偉大なカメラマンとして、どうしてなり得たのか?
その前に、
彼の行動をいくつかピックアップしてみたいと思います。
きっと、初心者の方にとって、お役にたつと思います。
①
経歴にも出てくるカモシカですが、
野生の二ホンカモシカを撮影するのは極めて難しいと言われています。
なぜなら、絶対数が当時は、非常に少なかったからだそうです。
まだ 「16歳」 の宮崎氏は、ニホンカモシカを撮る前に、
カモシカの出現する場所を探すのに苦心します。
まず、「山登りの訓練」をしようと地元の「山学会」
に1年半所属したそうです。
しかし、それでもうまくいかず、次は、仕事の休日ごとに
単独登山を実行しています。
そして、半年後に、遂に 「圧倒的な生命力」 のカモシカに出会えた!
と大喜びしています。
それから、日夜、丹念に観察・研究を重ね、
撮影を続けていくことになります。
ところが、撮影に熱中しすぎたあまり、体調を崩し、
経歴にもありますように「入院」することになりました。
この時、20歳ごろで、約3年の闘病を送っています。
肝臓と腎臓をやられていたようです。
その頃、東京にいた兄が新聞社のカメラマンになったのを知り、
非常に刺激を受けたみたいです。
興奮した宮崎氏は、
「一度死にかけた命なのだから、独学でも写真家になろう!」
と決心したことを雑誌の取材に応えています。
こうして 「23歳」 の時、出版社の勧めで「写真絵本」の
出版を機にプロとしてデビューすることになるわけです。
②
さて次は、「無人撮影装置」を開発したことです。
これは、他社の人との共同開発ですが、これによって、
「夜間の登山道に出没する様々な動物の写真を撮影することが
できるようになり、展示会も開催しています。
③
また、八重山列島に棲む「カンムリワシ」の成鳥や雛鳥などの
撮影にも成功しています。
(カンムリワシ・過去撮られた例がない)
これは、これまで撮影されたこともなく、観察例すら無かったもので、
貴重な生態写真になりました。
この写真集は、33歳で「日本写真協会賞新人賞」を受賞。
(前述の通りです)
④
単なる生態だけでなく、野生動物の死体が山で土に還るまでの
過程を撮り続け、それを写真集にした
『死 Death in Nature』を発表。
日本写真協会賞年度賞を受賞しています。
⑤
動物写真で「土門拳賞」を受賞した人は、過去に例がなく、
そういう意味でも、他の動物カメラマンと一線を
画する特異な存在と言えましょう。
さて、どうですか?
細かく書けばまだまだエピソードが
ありますが、今、簡単に上げてきた数例だけでも、
凄いなあと思われたのではないでしょうか。
長くなりましたので、
宮崎カメラマンが何故これほどの実績を
挙げることができたのか、その理由については
追加したいと思いますので、
申し訳ないですが、少し、お待ちください。
それでは。
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