高名な写真家にも「カメラ雑誌」を教材にした人は少なくない!
こんにちは。
カメラ雑誌「アサヒカメラ」が
「休刊」になって約3か月。
やっぱり 「アサヒカメラ」 の読者は
多いのでしょうか?
それについてのメールをいただきました。
福岡の中年男性「W」さんです。
残念がっておられるのですが、それ以上に
「意外な事実」に驚かれたようです。
許可は得ていますので、一部を
抜粋してシェアしますね。
ーーーーここから
・・・・・・・・・
「アサヒカメラ」が休刊になるとちょっと
寂しいですね。
ところで、初めて知ったのですが、高名な
人気カメラマンが「休刊」するにあたって
自身の感想をよせていました。
読んで、「カメラ雑誌」 の役割の大きさを
あらためて思い知りました。
そして、意外な事実を知って驚きました。
・・・・・・・・・・(省略)
ーーーーここまで
ここに出ている「高名なカメラマン」と
いうのは、次のようなプロカメラマンです。
① アラーキー(荒木 経惟・あらき のぶよし・79・
毎日芸術賞他)
「アラーキー=20代~30代=株電通時代」
(注) 「ここに、若い「アラーキー」の写真を載せたのは、
カメラ雑誌の月例コンテストに応募していたのが
この頃だったからです。
以前、入選作を挙げたことがありますが、ブログの規則変更があって、
”削除” されてしまいました。
なので今回は載せておりません。(苦笑)」
② 篠山紀信 (APA賞他多数・79)
篠山紀信<ヤフー検索より>
篠山紀信作品<ヤフー検索より>
③ 大西みつぐ(木村伊兵衛賞他・68)
「大西みつぐ」
④ 北井一夫 (きたいかずお・木村伊兵衛賞・76)
「北井一夫」
他、数名。
ここでは、特によく知られていると思われる人を
4名挙げてみました。
注) 「木村伊兵衛賞」 というのいは、ご存知の方も多いと
思うのですが、写真界において、「土門拳賞」と並ぶ
最高賞です。
文学界の「芥川賞」と「直木賞」とも称されることもあります。
メールを下さった「W」さんが
「意外な事実を知って驚いた」
とおっしゃっているのは、
いったい何に驚かれたのかについて
書いてみましょう。
(ちょっと、私用でこれから出かけますので
帰ったら、続いて 追加しますね。)
少しお待ちください。・・・・・・・(苦笑)
注)
中断してしまいましたが、
早速続きを書いていきますね。
<Mさんが言う意外な事実とは?>
このブログでは、独学者にとっての「教材」は
何度も言うように、
「カメラ雑誌」 一択です。
コレのみです。
私は、外部での教えは、一切受けていません。
そんな余裕がありませんでした。
ただ、写真展とか、美術の「テレビ番組」
などは時々見ていました。
いずれにしても、
私の場合は、
「カメラ雑誌」が唯一私の「師」であり
「先生」でもあったと言えます。
いろいろ調べていると、「カメラ雑誌」を
バカにしているアマチュアを時々
目にします。
プロにさえも、そんな人を見受けます。
しかし、「カメラ雑誌」のみで、私がプロとして報道写真を
撮れるようになったのもまぎれもない事実です。
決してバカにするには当たらないのではないでしょうか!
そこで、前述の「M」さんの
話に戻りますが、
「M」さんが意外だったと驚いたのは、
「アサヒカメラ」休刊に当たって、
「アサヒカメラ誌」寄稿された
「プロの言葉(文章)」
だったのです。
短いものですが、その文章の一部を
簡単にご紹介しましょう。
いずれも「アサヒカメラ」7月号に
掲載されたものです。
① アラーキー (毎日芸術賞・79)
「・・当雑誌は自分にとって”教材だった・・」
③ 大西みつぐ(木村伊兵衛賞他・68)
「・・自分は当雑誌に育てられた・・・・・」
④ 北井一夫 (木村伊兵衛賞・76)
「当雑誌は自分にとって写真学校だった・・」
3人の大家はこのようにおっしゃっています。
「カメラ雑誌」の役割がいかに大きかったかを
示しているのではないでしょうか?!
私は、このような大先輩が「カメラ雑誌」に、
これほど思いを寄せておられたことを知って、
感慨深いものを感じさせられました。
「M」さんが驚かれたのも
無げなるかな・・・・・・と。
< まとめ >
「カメラ雑誌」の
「すばらしさ」と、
「すごさ」 を、
この機会に、みなさんも、
今一度考えてみてください。
くれぐれも、お願いいたします!
それでは、今回はこの辺で・・・・・・。
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