木村伊兵衛賞受賞者の写真集「ひろしま」が訴えるもの!吐き気が! [ひろしま]
木村伊兵衛賞を受賞した写真家の写真集「ひろしま」の波紋!
ボロボロの古着をみて「はやりのジーンズ」を思い出した人!
引きちぎられたような 着衣 の穴と汚れを見て涙した人!
話題を呼んだ写真集に吐き気をもよおした人もいました!
きのう、テレビを見ていると、
「反戦」を叫び続けた勇ましい老人の叫ぶ姿が
目に留まりました。
「むのたけじさん=101」(故人)
ジャーナリストの「むのたけじ(101)」さんというお方です。
反戦・平和を訴え続けたジャーナリストとして、その世界では、
知られたお人だったようです。
私は、残念ながら、この時に初めて知りました。
終戦後、一面、ヤケ野原と化した東京を訪れた
むのたけじさんが見たものは、死体の海だったそうです。
空襲で目も当てられぬ状況が広がる戦争のツメアトを前に、
たけじさんさんは、呆然と立ち尽くしてしまったそうです。
番組は、この後、「日本赤軍」と名乗る暴徒の重なる
「ハイジャック事件」 を放映していました。
空港において、銃乱射で無差別殺人を行う「日本赤軍派」。
「日本赤軍」というのは、元はと言えば学生運動から
派生した「テロ集団」で、首謀者は女性「重信房子=明治大学出身」。
(重信房子)
彼女が、数十年の「逃亡生活」の末の逮捕で話題を呼んでから、
まだ、そんなにたっていないと思うのですが、調べたところ、
逮捕されたのは、 2000年 11月 だそうです。
いずれにしても、無残な殺人劇を見せられて、
「平和」 ということを、改めて、考えさせられました。
そのタイミングで、私は、冒頭に書きました
木村伊兵衛賞の受賞者の写真集 「ひろしま」 の作品を見ていました。
8月になると、「ひろしま」は、必ずマスコミが取り上げます。
先ごろ亡くなられたカメラマン「福島菊次郎」さんも、
長きにわたって、「ひろしまの被爆者」 を追い続けた人です。
被爆に苦しむ人の惨状を執拗に追い続けた写真は偉業でもあります。
原爆と言えば、普通こんな写真を思い出す方が多いのでは
ないかと思います。
「原爆ドーム」
ところで、下の写真をご覧ください。
①
②
③
これらの作品を見てどう思われたでしょうか。
「ひろしま」をテーマに撮った写真集の一部です。
アサヒカメラ誌バックナンバーから引用させていただいた
写真ですが、これは、被爆者が、被ばくした当時に着ていた
遺品だそうです。
作者(写真下)は、被爆者の遺品を撮り始めて、7年になるそうです。
「石内都・(69)さん」
簡単に経歴をみますと、
石内都(いしうちみやこ・69)= 現役のプロカメラマン。
武蔵野美術大学中退。
木村伊兵衛賞(1979年)受賞。
ハッセルブラッド国際写真賞(20014年)受賞。
特に、ハッセルブラッド国際写真賞は日本で「3人目」だそうです。
上の写真群について、作者石内さんは、次のように書いておられます。
一部抜粋してみましょう。
「 ・・・私が撮っているのは、記録でもなく、資料でもない。
今、現在、目の前にある遺(のこ)された物たちと同じ時間、
同じ空気の中に共に居ることを写真に写す。・・・
まとった絹糸の織りなすシミやシワ、汚れ、破れ、欠損した
その先に、23歳の女性の身体がかすかに浮かぶ。
・・・見知らぬ彼女に、声をかけ、シャッターを切る・・・ 」 と。
ボロボロの古着をみて「はやりのジーンズ」を思い出した人!
引きちぎられたような 着衣 の穴と汚れを見て涙した人!
話題を呼んだ写真集に吐き気をもよおした人もいました!
きのう、テレビを見ていると、
「反戦」を叫び続けた勇ましい老人の叫ぶ姿が
目に留まりました。
「むのたけじさん=101」(故人)
ジャーナリストの「むのたけじ(101)」さんというお方です。
反戦・平和を訴え続けたジャーナリストとして、その世界では、
知られたお人だったようです。
私は、残念ながら、この時に初めて知りました。
終戦後、一面、ヤケ野原と化した東京を訪れた
むのたけじさんが見たものは、死体の海だったそうです。
空襲で目も当てられぬ状況が広がる戦争のツメアトを前に、
たけじさんさんは、呆然と立ち尽くしてしまったそうです。
番組は、この後、「日本赤軍」と名乗る暴徒の重なる
「ハイジャック事件」 を放映していました。
空港において、銃乱射で無差別殺人を行う「日本赤軍派」。
「日本赤軍」というのは、元はと言えば学生運動から
派生した「テロ集団」で、首謀者は女性「重信房子=明治大学出身」。
(重信房子)
彼女が、数十年の「逃亡生活」の末の逮捕で話題を呼んでから、
まだ、そんなにたっていないと思うのですが、調べたところ、
逮捕されたのは、 2000年 11月 だそうです。
いずれにしても、無残な殺人劇を見せられて、
「平和」 ということを、改めて、考えさせられました。
木村伊兵衛賞:意外な写真集
そのタイミングで、私は、冒頭に書きました
木村伊兵衛賞の受賞者の写真集 「ひろしま」 の作品を見ていました。
8月になると、「ひろしま」は、必ずマスコミが取り上げます。
先ごろ亡くなられたカメラマン「福島菊次郎」さんも、
長きにわたって、「ひろしまの被爆者」 を追い続けた人です。
被爆に苦しむ人の惨状を執拗に追い続けた写真は偉業でもあります。
原爆と言えば、普通こんな写真を思い出す方が多いのでは
ないかと思います。
「原爆ドーム」
ところで、下の写真をご覧ください。
①
②
③
これらの作品を見てどう思われたでしょうか。
「ひろしま」をテーマに撮った写真集の一部です。
アサヒカメラ誌バックナンバーから引用させていただいた
写真ですが、これは、被爆者が、被ばくした当時に着ていた
遺品だそうです。
作者(写真下)は、被爆者の遺品を撮り始めて、7年になるそうです。
「石内都・(69)さん」
簡単に経歴をみますと、
石内都(いしうちみやこ・69)= 現役のプロカメラマン。
武蔵野美術大学中退。
木村伊兵衛賞(1979年)受賞。
ハッセルブラッド国際写真賞(20014年)受賞。
特に、ハッセルブラッド国際写真賞は日本で「3人目」だそうです。
上の写真群について、作者石内さんは、次のように書いておられます。
一部抜粋してみましょう。
「 ・・・私が撮っているのは、記録でもなく、資料でもない。
今、現在、目の前にある遺(のこ)された物たちと同じ時間、
同じ空気の中に共に居ることを写真に写す。・・・
まとった絹糸の織りなすシミやシワ、汚れ、破れ、欠損した
その先に、23歳の女性の身体がかすかに浮かぶ。
・・・見知らぬ彼女に、声をかけ、シャッターを切る・・・ 」 と。